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第五十三話 余裕のない男

作者: 海野雫
last update 公開日: 2026-08-23 19:02:56

 仁の言葉の後、三人の間にしんと沈黙が訪れた。喧騒が遠のいていく。

 有村は口角を上げて、ニヤリと笑った。

「へえ……。そんな感じですか」

 澪が有村に目を向けると、有村は笑ったまま、視線だけを仁に向けていた。

 なんだ、この一触即発状態は……。仁は、今にも噛みつきそうな顔だ。

「と、とりあえず、もう遅いですし、帰りましょう? ここにいては迷惑になりますし」

 澪はふたりに向かって声をかけた。駅前で見目のよい男同士がにらみ合っているからか、遠巻きに女性が集まってきた。「あれって、なんていう会社だったっけ? 社長だよね」なんて声も耳に届いた。

 そうだった。仁はビジネス誌だけでなく、ファッション誌にも顔出ししている。

目鼻立ちの整った顔立ちなのだから、世の女性が放っておくはずがない。

「あの背の高い人、モデルかな? めっちゃかっこいいんだけど」

 一方の有村も負けていない。すらっと背が高い

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     仁の言葉の後、三人の間にしんと沈黙が訪れた。喧騒が遠のいていく。 有村は口角を上げて、ニヤリと笑った。「へえ……。そんな感じですか」 澪が有村に目を向けると、有村は笑ったまま、視線だけを仁に向けていた。 なんだ、この一触即発状態は……。仁は、今にも噛みつきそうな顔だ。「と、とりあえず、もう遅いですし、帰りましょう? ここにいては迷惑になりますし」 澪はふたりに向かって声をかけた。駅前で見目のよい男同士がにらみ合っているからか、遠巻きに女性が集まってきた。「あれって、なんていう会社だったっけ? 社長だよね」なんて声も耳に届いた。 そうだった。仁はビジネス誌だけでなく、ファッション誌にも顔出ししている。目鼻立ちの整った顔立ちなのだから、世の女性が放っておくはずがない。「あの背の高い人、モデルかな? めっちゃかっこいいんだけど」 一方の有村も負けていない。すらっと背が高い。切れ長の目は冷たそうに見えるが、ほかの顔のパーツとの相性なのか、やけにやさしく見える。 とにかく、このふたりは黙っていても、人目を引くのだ。「ああ、そうだな。澪の言うとおりだ。送っていくよ。澪、行こうか」 仁がすっと手を澪の腰に回した。まるで恋人のように。「じ、……高宮社長?」 澪は逃れようとしたが、ガッチリと回された腕は、澪の力では剥がすことができなかった。 仁が歩き出そうとしたとき、澪は有村に腕を掴まれた。「……え?」「僕が朝倉さんを誘ったので、僕が送って帰ります」 その言葉に仁は目を細めた。まるで氷のビームでも出てくるのではないかと思うほど、まとう空気が冷たい。「ご配慮、感謝します。俺、車で来てるんで、俺が送ります」 そう言うと、仁はさらに澪の腰を自分へと引き寄せた。 ――ちょっと、一体どうなってるの? 気づけば、澪は

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     仁がなにか言うより先に、有村が「決まりですね!」と手を叩いてしまった。そのせいで、あの場では「業務ですので」としか答えられなかった。 翌日、有村とともに市場リサーチに向かった。待ち合わせの駅に行くと、すでに有村の姿があった。「朝倉さん!」 有村は手を高く挙げ、ぶんぶんと振っている。そんなことをしなくても、背が高い有村は遠くからでも十分見えるのに。 まるで大型犬が尻尾を振っているような姿を見て、澪は思わず口元をほころばせた。「お待たせしました」「ぜんぜん、待ってませんよ。あ、荷物持ちますよ」 澪の肩から下がっているバッグに、有村はすっと手を伸ばした。別に重たいわけでもない。「いえ、大丈夫です! そんなに重いものでもないですし」 澪が断ると、有村は眉を下げた。「そうですか……。当たり前のことをしたんですけど、迷惑でしたか?」「いえ、そういう意味では……」 迷惑というより、外国の紳士のような態度に戸惑っただけだ。「さあ、行きましょう!」 有村は気を取り直したように、声を張り上げた。 やけに張り切っているように見える。 ――まあ、楽しく仕事をしてくれるのなら、いいか。 澪は先導する有村についていった。「今日は、百貨店やスーパー、ドラッグストア、セレクトショップなどを、できるだけ回りたいんです」 有村はスマホのマップアプリを開いて言った。「そんなに回るんですか?」「はい。たくさん見たほうがイメージしやすいですから。Onlyé for youのデザインに似たものがあれば、参考にしたいと思っています」「そうなんですね」 上司は有村のことを「ちょっと軽い」と呆れていたが、そんなことはなさそうだ。仕事はしっかりこなすようで、内心ほっとした。 有村のスマホを見ると、マップにたくさんピン留めしてある。今日、

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    「あなたに会いたくて、この仕事、受けたんです」 まったく、理解できない。 今、会議室に入ってきたクリエイティブディレクターは、澪の目の前に立っている。いま、なんと言った? 「あなたに会いたくて」と言わなかったか。「え……っと」 澪は固まったままで、そう言うのがやっとだった。 しばらく目の前の有村を見つめているうちに、澪はようやく我に返った。ざわざわと会議室でプロジェクトメンバーがささやいているのが耳に届いた。「なに? 朝倉さん目当てってこと?」「っていうか、朝倉さんって、付き合ってる人いるんじゃなかったっけ? ほら、ダーマコードの……」「違う違う、あれはデマだったでしょ?」 上司が咳払いをした。大きな音に、澪の体がビクッと震えた。「有村さん、まずはご着席ください。今後のことについてお話しできればと思います」「ああ、すみません! 僕、前のめりすぎましたね」 有村は澪ににっこりとほほえみ、向かいの席に座った。なんともマイペースな人だ。「皆さん、改めてご紹介します。こちら、今回のプロジェクトに入っていただく、クリエイティブディレクターの有村さんです」 上司が向かいに座る有村を紹介した。有村はガタッと椅子を鳴らしながら立ち上がった。「改めまして、有村です。今回のプロジェクト『Onlyé for you』のクリエイティブディレクターに就任いたしました。ホームページと広告をメインに作業させていただきます」 丁寧にお辞儀をするところを見ると、社会人としては問題ないようだ。有村は、すっと椅子に座った。背筋を伸ばし、姿勢がいい。「弊社で本プロジェクトの指揮を執っているのは、朝倉です。今後、彼女と話すことが多くなると思いますのでよろしくお願いします」 上司が澪を紹介したので、澪はその場に立ち上がった。「朝倉です。どうぞよろしくお願いします」 頭を下げてからゆっくり上げると、有村は口元をほころばせた

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     千華は週末の土曜日の昼どきを指定してきた。ダーマコードとの交渉があるため、平日は忙しいのだろう。それだけでなく、ほかにも業務があるかもしれない。 澪も、平日でなくてよかったと思っていた。平日に千華とプライベートで会えば、仕事に支障が出るに決まっている。もし仁のことを話さなければならないとなれば、なおさらだ。 とにかく、会う約束をしたのだ。どんな話をされるにせよ、腹をくくって向かうしかない。 澪は、千華からもらったメッセージをじっと見つめた。 あのカフェを思い出す。麗奈に呼び出され、伝票を置かれた、あの午後。 ――今度は、なにを言われるんだろう。 土曜日、千華が指定したカフェへ向かった。 木でできたコテージのような外観だった。店の前には大小の素焼きの植木鉢が置かれ、季節の花々が咲き誇っていた。店の脇にはローリエの木がすっと立ち、ミモザの葉が入り口に影を落としている。「かわいいお店」 思わずそんな言葉がこぼれた。ドアを押すと、カランコロンとドアベルが鳴る。 待ち合わせの十分前だったので、まだ来ていないだろうと思っていた。けれど、千華はすでに店内にいた。背筋を伸ばし、本を読んでいる。花柄のワンピースがよく似合っていた。真っ黒な髪にダウンライトが反射して、つやつやと光っている。「九条さん、お待たせしました」 声をかけると、千華は本からゆっくりと目を上げた。「朝倉さん。ごめんなさい、気づかなくて」 パタンと閉じた表紙には、英語で「Cosmetic」という単語が並んでいた。論文か専門書だろうか。休みの日にまで、と思う。「どうぞ、座ってください」 差し出した手は指先までまっすぐ伸びていて、所作が美しい。やっぱりお嬢さまなのだと、改めて思い知らされる。「失礼します」 向かいに腰をおろしたが、居心地が悪くてもじもじしてしまう。「お名刺の番号にご連絡してしまって、すみません」「いえ、そんな」「お食事は? ここはハンバーグ

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